CHIKOの写真deインドネシア

Vol. 7 CHIKOの留学への道のり秘話(2004.04.30)
VOL.1                 2003/02/25


 INJの橋本章子です。1回で、ケンたんからの拝借本ネタを終えてしまうのは勿体ないので、ネタをさらに拾ってみる(爆)※Ken-tan tuh siapa sih? (ケンたんって誰なんじゃ?)とbingungな方はCHIKOの写真deインドネシアの【インドネシアの物価☆今VS昔】をご覧ください〜
 そのガイドブックには、Surabaya時代の保証人について書かれたコラムもありました!私の一番先の留学先はSurabayaで、保証人は父の古くからの友人。インドネシアでも有名な事業家が私の保証人を快く引き受けてくださった。

 しかし、当時のインドネシアに15歳、しかも【単身】で留学する“ムチャな”高校生は私が初めてだったらしく・・・前例がないということで、ビサがおりない(涙)。 「前例がなかったら、とにかく例をつくればいいのに〜」と、子供ながらに思った記憶が・・・。 

 当時はアジアンブームのアの字もなかった時代。「こんな小さな子が単身留学なんて、変だ!何か裏がある」、「大体、インドネシアに留学するなんて有り得ない!なんでアメリカかイギリスじゃないんだ?」と、ひたすら不思議がるインドネシア側。私は「スパイ容疑」がかけられ(本当の話)、ビサが1年以上もおりなかった。この時初めて、諜報組織、BAKIN(Badan KoordinasiIntelijen Negara)/国家情報調整庁の存在を知る。「BAKINは、アメリカでいうCIAみたいなもの」〜と言われても、全くピンとこなかった当時14歳の私(´ヘ`;)

 留学相談に目黒のインドネシア大使館へ行った時も、「前例がないので難しい」と言われたし、長期戦になる覚悟はできていたが全く進展がなく、心配する私達を察してか、スラバヤの保証人は「この子の身元は私が保証する。くだらん事を言って、子供の未来をダメにするな!」と、領事館に怒鳴り込んでくれたそうだ。結局、色々なコネを使い(笑)、最後は、後々私のジャカルタでの保証人をお願いした、父の親友の兄(心臓外科医。インドネシア大学医学部教授で、大統領主治医)が、ゴルフ仲間の文部大臣に入れてくれた電話のおかげで1発解決★ コネの重要さも学んだ私でした。

 しかし我ながら、よく15歳で単身インドネシアへ飛んだなあ・・・。当時はインドネシア語の知識はゼロ。英語だって中学生レベルだったのにね。もっとも、そんな私を「とにかく行ってみろ!たくさん泣いて、たくさん笑って、たくさん苦労して、広い世界を見てきなさい」と、スポーンと、外国に放り出してくれた(風変わりな)親にも感謝。

 しかし両親、特に父のインドネシア好きは、私にしか遺伝しなかった模様。妹もアメリカ留学は経験したが、インドネシアには4回しか行っていない。〜特に興味がないんだとさ(´ヘ`;) 〜 姉の私は、フェチで、フリークなのにね。マニア参上!おたく上等!夜露死苦!!!! あれれ???

  ★☆★ 近況報告 ☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆★☆

  私の某クラスの生徒さん達を自宅に招いて、インドネシア料理大会をやりました。
  インドネシアの家庭料理を味わってもらおうと私もハッスル(死語)
  みんな〜楽しかったね♪ 

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